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東京高等裁判所 昭和55年(行ス)3号 決定 1980年3月21日

抗告人 株式会社ミゾタ建築設計事務所

主文

本件抗告を棄却する。

抗告人の当審における新たな申立てを却下する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨は、「原決定を取消す。東京地方裁判所昭和五四年(行ウ)第九四号法人税更正処分取消請求事件の被告を東京国税局から淀橋税務署長及び国税不服審判所長に変更することを許可する。」との裁判を求めるというのであり、抗告の理由は別紙記載のとおりである。

そこで判断するに、抗告人は、右法人税更正処分取消請求事件において、訴えを提起するに際し被告とすべき者を誤つたが、抗告人には被告とすべき者を誤つたことにつき故意又は重大な過失がなかつたから、被告を抗告人主張のように変更することは許されるべきであると主張し、その理由につき、当審において別紙記載のとおり補充するというのである。

ところで、記録によれば、抗告人は、昭和五四年五月一日に東京国税不服審判所長のした裁決書の送達を受け、同年七月三〇日に弁護士青木達典に訴訟を委任して、東京国税局を被告とした右法人税更正処分取消しの訴えを提起したことを認めることができるところ、右取消訴訟における抗告人の請求の趣旨及び原因に照らせば、抗告人が右訴えを提起するに際し被告とすべき者を誤つたものと認めることができることは、原決定がその理由第二項中(原決定一枚目裏八行目から二枚目表一〇行目まで)に説示するとおりであるから、右説示を引用する。

次に、抗告人が被告とすべき者を誤つたことにつき故意又は重大な過失がなかつたか否かについて検討するに、抗告人が弁護士を訴訟代理人に選任し、法律の専門家である右弁護士が、訴えの提起に当たり被告とすべきものを誤つたとの一事をもつて、直ちに抗告人において被告を誤つたことにつき重大な過失があつたものと断定するのは相当でなく、右の場合にも、その具体的な諸事情を総合してこれを判定すべきものであることはいうまでもない。抗告人は、被告とすべき者を誤つた事情につき別紙記載のとおり主張するものであるところ、(一)、その第一点として、抗告人は、前記取消訴訟を提起するまでの間に昭和五四年六月中旬、同月下旬、同年七月下旬の三回にわたつて、弁護士青木達典、税理士中村政一、税理士一円昭造、抗告人代表者溝田旭及び抗告人総務部長田中昭臣が集まり、協議をしたが、その際被告を東京国税不服審判所長及び淀橋税務署長のいずれにすべきか、あるいは被告を東京国税局とすべきかについて意見が分かれ、確信を得られなかつたので、元淀橋税務署長をした税理士中村政一が、同年七月二〇日ころ東京国税不服審判所に勤務していた知人に電話をして、その結果被告は東京国税局でよい旨報告し、弁護士青木達典においても、そのころ淀橋税務署及び東京国税局税務相談室に電話をして問い合わせたところ、被告は東京国税局でもよい旨の回答を得たものであるといい、(二)、第二点として、抗告人は、訴訟を委任した弁護士青木達典の父弁護士青木定行が、同年五月一六日突然脳卒中を発病して同月二二日午前五時死亡したため、弁護士青木達典は、亡父の葬儀等のために忙殺されて右取消訴訟を提起するにつき十分な調査をすることができなかつたものであり、また、弁護士青木達典が、税務関係の専門家である税理士の発言及び東京国税局税務相談室の職員の発言を尊重したことは非難されるべきことでないから、抗告人において被告を誤つたことについてはやむを得ない事情があつたものであるというのである。ところで、抗告人主張の税理士中村政一及び弁護士青木達典の問い合わせの電話に対し、東京国税不服審判所の中村政一の知人及び東京国税局税務相談室の職員が抗告人主張のような回答をしたことを認めるに足りる資料は存在しないが、仮に抗告人主張のような回答があつたとしても、右のような問い合わせは被告を誰とすべきかを定めるための調査方法の一つにすぎないものというべきであり、行政事件訴訟法第一一条第一項本文には被告とすべき行政庁につき明確な規定があるのであるから、右規定に照らせば、右回答に係るという東京国税局が右更正処分をした行政庁及び裁決をした行政庁に該当するものでないことは、容易に判定し得る事柄であつたものというべきである。したがつて、前記取消訴訟の提起を受任した弁護士としては、東京国税局がいかなる法令に基づいて被告となる地位にあるものであるかにつき自ら調査検討すべき義務があつたものというべきであり、本件においては右更正処分をした行政庁及び裁決をした行政庁を識別することが極めて容易であつたという客観的事情が認められるのであるから、右の事実に照らせば、弁護士青木達典において、父の急死のためその葬儀等に忙殺されて十分な調査をすることができなかつたという事情があり、かつ、税理士中村政一から調査結果の報告を受けたうえ、自らも東京国税局税務相談室に問い合わせをしてその回答を得たという事情があつたとしても、弁護士青木達典が右報告及び回答を軽信して前記取消訴訟の被告とすべき者を誤るに至つたことについては、法律専門家としての注意義務を著しく怠つた過失があつたものと見るのが相当である。

してみれば、抗告人は、前記取消訴訟において、重大な過失により被告とすべき者を誤つたものというべきであるから、抗告人の申立てに係る被告変更の申立て(被告を東京国税局から淀橋税務署長に変更することの許可を求めるもの)を失当として却下した原決定は正当であり、また、抗告人が当審において新たに申し立てた「被告を東京国税局から国税不服審判所長に変更することを許可する。」との申立ても失当であるというべきである。

よつて、抗告人の本件抗告は理由がないからこれを棄却し、当審における新たな被告変更の申立ても理由がないからこれを却下することとし、抗告費用を抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 杉田洋一 蓑田速夫 加藤一隆)

抗告の理由

第一 <略>

第二 被告を誤つた理由につき、次の通り追加して陳述する。

一 本件法人税等の更正処分等に関して、東京国税不服審判所長より原告に対して裁決書の送達があつたのが、昭和五四年五月一日であつた。

この問題につき、取消の訴をなすべきかにつき、三回程原告事務所において打合せが行われた。

第一回の打合せが五月下旬に行われる予定であつた所、後述のような理由で、第一回目の打合せが六月中旬、第二回目が六月下旬、第三回目が七月下旬に行われた。

二 この会合の参加者は、税理士中村政一、税理士一円昭造、原告会社代表取締役溝田旭、同総務部長田中昭臣、及び原告代理人であつた。

税理士中村政一は、元淀橋税務署長であり本件については、昭和五〇年九月の調査開始以降だけをとつても約四年間、たずさわつており、税理士一円昭造にしても同様であつた。

またこの両名は税務関係についても当然専門家であるので、訴訟をする場合には、右両名に輔佐人(民事訴訟法第八八条)になつてもらうことになつたので(輔佐人申請書は、第一回口頭弁論期日に裁判所に提出済であるが)原告代理人はいわば当初は聞き役で終始していた。

三 とくに第一回は、まだ訴を提起するか否か決定しておらず、そのときに前記裁決書、及び審査請求書を提示されたので、次回までに内容を検討しておくといつて別れた。

第二回目のときに、原告代理人が内容を読んで来ていたので国税不服審判所長の裁決で、原処分が修正されている部分があるので、訴を提起する場合どの部分につき訴を提起するのか特定してくれと提案したところ、右中村、一円両氏が淀橋税務署と打合せをして原告とも相談し決定するということになつた。

四 第三回目に、訴を提起する部分が決定したのであるが、二回目か三回目の会合のときに、出訴期間及び被告を誰にするかが検討された。

原告代理人は、税務関係については専門でもないし、後に述べる理由で充分な調査が不可能であるからと発言し、その席で決つたことを尊重する態度をとつた。

五 そこで被告の関係については、六法全書をもつて来て、行政事件訴訟法第一一条及び、第一五条を回し読みし、原告代理人が裁決の取消しの訴えだから東京国税不服審判所長を被告とすればいいのかと質問すると、審判所を被告とするのはどうも疑問である、審判所は行政内部の異議審査機関だから独立して被告とはならないのではないかとの意見が出た。

すると淀橋税務署長に戻るのかということになり、東京国税不服審判所長の審判がでていることでもあるし、審判により原処分が変更されている部分もあるし、というような意見も出た。

そのうちに、だれかが東京国税局は、いわば行政機構的には淀橋税務署及び、東京国税不服審判所の本庁の関係にあるし訴訟関係は全部東京国税局でとり扱つているから、被告を東京国税局にすべきではないかという意見も出された。

六 ついで、出訴期間について、税務六法の中より国税通則法等を検討したが、これらの点につき、まちがいがあつてはということで、中村税理士が、東京国税不服審判所に知り合いがいるということで、電話をかけて聞いてみるということになつた。

なお、原告代理人は、中村税理士は東京国税局の友人に聞かれたものと思つていたところ、後に疎明書類を出す段になつて確認したところ東京国税不服審判所であつた。

前の被告変更申立書の、東京国税局に問い合せたとの部分を訂正する。

七 電話の相手は、審判官大和田常裕氏であつたようで、電話の内容については不明であつたが、電話を置いてから中村税理士は出訴期間の点は三月、被告については、東京国税局でよいと話された。

原告代理人はそれを聞いて疑問に思つたが、あまり時間もないので(出訴期間がせまつているので)被告をそのようにするからと述べたものである。

第三 本件につき、訴を提起するか否かの第一回目の打合せが、五月下旬に出来なかつたこと、及び原告代理人が充分な調査ができなかつた理由を次に述べる。

一 原告代理人の父青木定行(弁護士 第二東京弁護士会会員)が同年五月一六日発病、同月一八日入院、同月二二日午前五時脳卒中のため死亡してしまつたものである。

発病まで元気で共に仕事をしていたため、シヨツクであつたが、二二日通夜、二三日密葬、三〇日葬儀(千日谷会堂)が行われた。

そのため五月下旬の打合せ会がとりやめとなり、第一回の打合せ会が六月中旬頃になつた。

その後七月に入ると、四九日(七月九日)、埋葬(七月一一日)、新盆(一三日―一五日)と続いた。

またその間にも香典の整理、香典返し、その他葬儀社との打合せ、埋葬の打合せがあり、またそればかりでなく継続事件の処理等もあつた。

その他引越しの問題もあり(陳述書で述べる)そこで本件打合せの席でも右事情を説明し、本件については充分な調査が出来ないからと了解を得ていた。

実際、本件は、内容的について多くの問題があり、前記審査請求書、及び裁決書を照し合せて読むだけでも時間がかかつたものである。

第四 一 以上のようにして、七月二〇日頃より訴状の作成にかかつたが、被告について疑問に思つたので、淀橋税務署に電話をかけて、更正決定通知書をみながら、淀橋税務署長の法人税決定処分に関する審判所の裁決に対しての被告はだれになるかと聞いたところ、訴訟関係は、東京国税局の訟務官室(訟務部と聞いたように思つたが)でやつていると言われ、そこで電話番号を聞いたのが(二一六)〇五一一であつた。

二 原告代理人は訟務官室に電話をかけたと思つていたが、疎第一号証を検討して疑問に思い、当時のメモを調べたところ淀橋税務署で教えてくれたのは右の電話番号だつたものとわかつたが、これは東京国税局の税務相談室というところであつた。

被告変更申立書に、訟務部に問い合せたとあるが、右の点は訂正する。

なおこの点につき、原審で訂正する以前に原決定が出てしまつたため原審では訂正する間がなかつたものである。

三 そこで直ちに淀橋税務署で聞いた電話番号に従つて電話をかけ、訴訟関係のことで聞きたいが、相談の担当者はいるかというと、比較的に低い太い声で、現在全員席にいないが(訴訟関係専門の担当員がいないと受けとれたが)どんなことですかというので、同じく更正決定通知書を見ながら、淀橋税務署長の三年程前の法人税更正処分につき、国税不服審判所の審判が出たが、それに対して訴を提起する場合、被告はだれにするのか淀橋税務署長に戻るのか、それとも、東京国税局でいいのか、と聞き、合せて前述したいろいろの意見を述べると、東京国税局でもよいという返事であつたので、それではそうしますと発言したものである。

四 そこで原告代理人も何人にも聞いた結果であり、出訴期間もせまつておるので、行政機構的な面を重視すればそうなるのかと思い被告を東京国税局としたものである。

五 原決定は「被告を誰にするかは専ら行政事件訴訟法第一一条第一項の解釈適用に関する法律問題であり、してみると法律専門家である弁護士が右のような問い合せをし、回答を得たとの一事をもつて過失を免れるかは甚だ疑問である。」と断じている。

確かに、原告代理人が一人で安易に判断して誤つたものならば、重大な過失があつたといわれてもやむを得ないところである。

しかしながら、弁護士として、すべての法律に精通しているわけではなく、また、法律には解釈によつていろいろに解されることは論をまたない。

したがつて本件について、税務の専門家である税理士(元淀橋税務署長)の発言を尊重したのは当然のことであつて、いわば、謙虚な態度で先達の発言を聞くのは、決して非難されることではないはずである。

また一方現職の税務関係については専門の国家公務員である東京国税局税務相談室の職員の発言を尊重するのは、国民として当然のことであり、その職員が、自分がわからなければ他の人に聞くなり専門の担当者がすぐ帰つて来るから電話をかけなおしてくれとか返事をすべきであつて、職員がまちがつた発言をしたからといつて、それを信じた国民が被害をうけてもやむを得ないと断じているのは全く納得のできないことである。

第五 以上のとおりであるので、原告代理人には、重大な過失があるとはいえない。

よつて、本件の場合行政事件訴訟法第一五条第一項を適用すべきものと解されるので抗告の趣旨記載の裁判を求めて本抗告をなす次第である。

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